未分類

離婚を決意した瞬間!自分の決断を後悔しないために進むべき路(みち)

はじめまして。

まさよと申します。

このブログにお越しいただき、ありがとうございます。

私は夫とのモラハラ生活に終わりなき絶望を感じ、
2024年に離婚をするため別居をした45歳のシンママです。

長男(24歳)は職場が夫と同じため夫の元に残り
次男(19歳)は、私と母と新たな生活を歩み始めました。

”離婚”という人生の大きな決断を下すまでには様々な葛藤や悩みがありました・・

・これから自分の収入だけで家族を養っていけるの?
・子供の学費や親の介護、自分の老後資金などを捻出することができるの?
・次男に「お父さんと一緒に暮らせば良かった」と思われたらどうしよう?

ずっと悩んで眠れない日が続きました。でも、
その一歩を踏み出さないと今の状況から変われない!
自分の決断を後悔したくない!
だから前を向いて進もう!そう決めたのです。

今の生活を守っていくために、なにより自分を奮い立たせ躍進するために

スキル0から、1年後にWebマーケティングで月50万円を稼ぐ!

と目標を決めました。

「スキル0の人がこんな理想を実現できるの?」と思われた方もいらっしゃると
思います。

今はまだ何の実績もない私が話しても、そう思いますよね(笑)

でも、一度想像してみてください!
今までになく熱量を注ぎ込んで頑張った1年後に、自分の力で月50万円以上を
稼ぐことが出来たとしたら、あなたはどんなことを叶えてみたいですか?

💡家族で旅行を楽しみたい!
💡教育費・介護費・自分の老後資金の心配をなくしたい!
💡65歳までに貯金を5,000万円貯めたい!

私はこれらの叶えたいリストを現実に変えていきたいのです。
そのためにWebマーケティングスキルを身に付け、自分の力で収入を上げていきたいと
思い、現在スクールで学んでいます。

なぜWebマーケティングを学ぼうと思ったのか、
それまでの経緯と、私の自己紹介を含めてお話していきたいと思います。

離婚をした、
または離婚を悩んでいる・・という方へ、このブログが新たな一歩を踏み出すための
きっかけになれば嬉しいです。

基本情報

氏名:まさよ
家族:次男(19歳/専門学生)、母、猫2匹
趣味:おいしいものを食べること、旅行へ行くこと

相手の顔色を伺うクセがついた子供時代 ~ そして親の離婚 ~

私の幼少期は人見知りを全くせず、誰にでも話しかけにいくような子だったそうです。

そんな幼少期から、相手の顔色を伺うような性格へと変わってしまったのは
父の存在が大きかったからだと思います。

父もまたモラハラ気質で、酒癖が悪いうえに、機嫌を損ねると物に当たったりする人
だったので、笑顔で会話したり、家族旅行へ行くなどの記憶がない親子関係でした。

一つ鮮明に覚えているのは、家族4人(両親・兄・私)で出掛けたときのことです。

父がお酒を飲んだため、代わりに母が運転をしていた帰路の途中、何が原因
かは覚えていませんが、助手席で足をダッシュボードに乗せていた父が不機
嫌になり内側から足でフロントガラスを蹴り上げる姿。
1度や2度ではなく何度も・・そのうちミシミシ!という音とともにフロント
ガラスにヒビが入る。
私はその異様な光景を後部座席から一言も声を発さず、ただ静かに時が流れ
るのを祈っていた記憶。

そんな父の性格もあって、小学生のころにはその場の雰囲気を敏感に察知するようになり
『人の顔色をうかがって行動をする』というクセが身につきました。
父が不機嫌になっている場に居合わせてしまったときは、荒ぶる態度に委縮してしまう・・
威圧的な態度をとる人の前では頭が真っ白になり、「何か言わないと・・」と焦るほど
考える思考が停止してしまい、自分の意見を伝えることができず、ただ想いを飲み込み
心に負荷を掛けることが普通になっていきました。

家庭はそのような状況でしたが、学生生活では中学はソフトボール部、高校はバトミントン部に入り、部活仲間とともに一つの目標に向かって練習を重ねた充実の日々を過ごしました。
高校の部活仲間とは卒業後28年を経た今も交流を続けており、かけがえのない友達に出会えたことに感謝しています。

高校生活が終わりを迎える卒業間近のある日、兄と私は両親から離婚することを告げられました。
中学に上がるころには両親が別室でそれぞれ過ごすようになり、夫婦関係が上手くいっていないことは理解していたので、その事実を聞いてもどこか他人事のように「そうなんだ」としか感じませんでした。

そして両親の離婚が成立し、私は母と新たな生活を始めることになりました。
その後、離婚原因が父のギャンブルによる借金であったこと、兄もまたギャンブルに依存しており、お金の欲求があったことなどを聞きました。

親の離婚が子供に与える影響は少なからずあると思います。しかし私の場合がそうであったように、日々父に怯えながら過ごす日常と比べたら、金銭的に少し苦しい生活だったとしてもお互い協力し合い笑顔のある、そして自由がある生活の方が幸せを感じることができるのです。

そして「お金」に苦労していた母を見てきていたので、4月から社会人となる私がそばで支えていこう!と心に決めました。

結婚~出産

4月から社会人生活がスタートしました!

1ヶ月ほど行われた社内研修期間で仲良くなった同期の地元で何度か遊ぶうち、夫と知り合いすぐに交際へ発展。

お互い遠方に住んでいたため週末しか会えないという環境もあり、そばで母を支えていこうと決意してから1年も経たずに親元を離れるということに少し罪悪感が残りましたが、母の喜ぶ姿を見て「これも親孝行なのかな」と、19歳という年齢ではありましたが結婚を決意しました。
”両親の離婚”を経験したこともあり、幸せな家庭というものに憧れがあったのも大きかったと思います!

21歳で長男を、5年後の26歳で次男を出産しました。
妊娠が判明した直後(妊娠3か月)から重度の悪露に襲われ、食事を全く受け付けられず
入院生活を送ったりと妊娠生活は大変でしたが、二人の可愛い息子に出会えたことは
今でも夫に感謝しています。

義母との確執

実は結婚するにあたり義両親からの希望を受け、同居生活をすることになりました。
慣れない土地、育ってきた環境が全く異なる義家族との生活は精神的に参ることもありましたが、その中でも一番大変だったのは 義母との関係 でした。

・私が掃除し終えた場所を掃除し直して「私(義母)が掃除した」
と言われる
・実家に帰省した際、母が自宅まで送り届けてくれたのでリビングへ
通すと、その場にいた義母があからさまに母を無視し部屋を出ていく

コレ!という明確な理由はないけれど、何をしても神経を逆なでする行動をとる人。
それが義母でした。

そのころから少しずつ両家の関係もヒビが入り始めていたのかもしれません・・

実母の雇い入れ ~ 両家のパワーバランスの崩壊 ~

両家それなりにバランスを保ちながら数年が経過・・
私が30歳のとき、母から 勤め先が経営難で倒産することになった 
連絡が入りました。

母はその時57歳で

・これから先も一人で暮らしていくことへの不安
・新たな就職先が見つかるかの不安

このような不安を抱えていたこと、
私も近くに母がいてくれたら心強いとの思いを伝え、近くに越してきてくれたのです。

再就職については、母の57歳という年齢もあり難しいのではないか・・と思った私は、
安易な気持ちで義父に「母を雇用してもらうことはできないか?」と相談したのです。
その行動が後に母を苦しめ、両家のパワーバランスを崩す一端になるとも知らずに・・

義父は20代で起業し、今では3社を取りまとめている経営者です。
その内の1社に

・代表取締役の義父
・専務取締役の夫
・義母、私とその他従業員20名ほど

が勤めている会社があります。

人員募集をしている状況でもなかったので難色は示されましたが雇用してもらえる
ことになりました。
異業種への転職で、初めて見聞きする内容や業務を必死に覚えようとする母。
義母の直下に母が就いたのですが、待っていたのは陰湿なパワハラでした・・

・質問など、話しかけても無視される
・手に取っている書類を無言で奪い取られる
・ミスがあったとき、周りに聞こえるよう大声で指摘を繰り返す
・陰で悪口を言われる

以前にも数名採用された方がいましたが、結局は義母の嫌がらせに耐えられず
全員が辞めていきました。
このような状況でも許されるのが家族経営の「闇」だと思います。
仕事以外でも関係性が変わってしまったこと・・それが両家のパワーバランスでした。

まだ良好な両家関係を維持していたところに、母を雇用してもらうという変化・・
雇用者(雇う側)被雇用者(雇われる側)という格差が生じ、それが
そのまま両家関係でも、母を格下に扱われることの原因となってしまったのです。

こういった状況を目の当たりにし、心底怒りが込み上げても声を荒げて抗議することが
できませんでした・・
会社内では他従業員の目もあるので極力接触は避けましたが、休日は母と会い話を聞いたり
何とか状況の改善ができないかと悩んでいたのですが・・

しかし半年が経とうとしたころ、
夫から「明日から来てもらわなくても良い。それを私から母に伝えて」とのみ告げられた
のです。

突然の宣告・・無神経さに返す言葉も出ず、どう伝えても母が傷つく結果に変わりはない中
どのように話そう・・と考えながら母の家へ向かいました。
なるべく内容をかみ砕いて伝えましたが、お互いあまりの扱われように悔しさが込み上げ
ただただ二人とも涙することしかできなかった事を鮮明に覚えています。

そのようなことがあっても夫と義両親との関係は続くし、母も法事があれば顔を会わせなくてはならないので本当に辛かったと思います。

その後、母は自力でフルパートの職を探し再就職することが出来たので
ホッ!としました。

次男の小学校入学 ~ 卒業まで続いた問題行動 ~

私が32歳のときに次男が小学校へ入学しました。1年生の時はまだヤンチャ盛りではあったものの友達とも上手く付き合えていたように思います。
それが2年生になると友達への力加減が上手くできず、トラブルが頻発するようになってきました・・

担任から「今日は〇〇な事がありました。〇〇は良かったですが〇〇はダメでした」との
報告電話が毎日掛かり、毎週1~2回はトラブルで嫌な思いをさせてしまった保護者の方と
校長室で、担任を含めての話し合いが行われる日々でした。

話し合いが終わり帰宅した後、私の怒り任せに話をしてはいけないと、なるべく次男にも理解できるよう「何があったのか、どう変えていけば良いのか」を話し合い、翌日学校へ送り出すという繰り返しでした。
しかし数日後には同じようなトラブルを起こし、また学校で保護者間での話し合い・・

小学校は親が参加する行事が多く、特に授業参観や学級懇談などは保護者が一堂に会する環境のなか”トラブルを起こす児童の保護者” というレッテルが自身に貼られているようで、学校行事への参加は苦痛で仕方なかったのを今でもよく覚えています。
加えて、学校の在籍児童数が少なく6年間一クラスの持ち上がりであったことも問題行動の改善が難しかった原因でもありました。

そういったトラブルが小学校2年生~卒業する直前までの5年間続いていたため、当時の私は精神的にかなりボロボロの状態でした・・
夫に気持ちを共有したくて、次男の学校での行動や保護者間での話し合いの状況を伝えたりもしましたが、返ってくるのは

・その(私)意見は間違ってる!
・なんで言われるばかりで、こういう風に言わへんの?

という否定言葉ばかり・・
時には一緒に保護者間の話し合いの場へ同行してほしいと頼んでも「俺は行かへん!」
自宅でゲームをしているだけの時でさえ、一緒に行動してくれる事はありませんでした。

自分は行動を何も起こさないのに、私に対して否定的な言葉ばかりを吐く夫に嫌気が増して
きた時期でもありました。

次男の卒業式では小学校6年間の成長を見届けられたという嬉しさと、
それを上回る「この環境から解放される」という安堵が入り混じった、複雑な気持ちになりました。

精神的に追い詰められて「いっそ転校してしまおうか」とまで悩んだ次男の
問題行動は、中学校へ上がると環境の変化(5地区合同の中学)により、小学
校時代のトラブルの日々がまるで嘘のように、部活にのめり込む元気な少年
に成長してくれました!

長男が抱える心の闇 ~ 小さくてもいい、その一歩を踏み出すまで ~

消えていく笑顔:自室に引きこもるようになる

小学校~高校生活では、次男のような大きな問題もなく”普通”の生活を送っていた長男。
しかし専門学校を選択するころから少しずつ長男の心に闇が広がり始めていたことに、
私は気づくことが出来ませんでした。

高校3年生の夏休み。就職か進学かを決める時期で、長男は当初「eスポーツ」を専攻する専門学校への入学を希望していました。
まだ一般にその名が浸透しておらず、親から見ても「ゲームを専門にする仕事?」くらいの認識だったため、開催されるオープンキャンパスに親子で参加をすることにしたのです。

【eスポーツとは?】
・コンピューターゲームやビデオゲーム・モバイルゲームを使った、
スポーツ対戦競技を示す
・国際的に開催されている競技大会では、賞金が計400億円を超え、
ユーザー数も数億単位となってきている
・IOC(国際オリンピック委員会)は2017年にeスポーツを、スポーツ活動
と捉える公式声明を出している

自分が憧れている業界を学べる専門学校への訪問に、長男は笑顔で体験や説明を受けていました。
そこでネックになったのが夫でした。一通りの体験を経て担当官と行う個人説明会の場で

・授業料が高額なので負担できない
・専門学校で学んだからと卒業後の安定の保証がない
・一般的に見ても無名の業界なので、今後需要が伸びるとは思わない

と持論を展開しました。
確かに夫の考えも一理あると思います。しかし、それは長男と話し合いを行い決めるべきもので親の独断で却下するものではないと思うのです。

私の意見など聞く耳持たずで、
代わりに今後伸びていくであろうIT業界に精通するホワイトハッカーになれば収入が安定する!と押し切り、そして長男は夫の言うようにIT専門学校へ進学することを決めました。

<注>ホワイトハッカーとは・・
コンピューターやネットワークに関する高度な知識や技術を、善良な目的で
活用する人の事

Q:どんな仕事があるの?
サイバー犯罪などに対応します。
例えば、国や企業のウェブサーバーに対して不正なアクセスがあった場合
ホワイトハッカーは調査や防御対策を実施します。

当初はIT専門学校のオープンキャンパスに行き「思っていたより面白かった」と言っていた長男ですが、入学して2年目あたりから口数が減り笑顔をみることが少なくなっていき、食事や入浴など、必要以外は自室にこもるようになりました。

2019年から爆発的に蔓延したコロナ禍の影響で、専門学校が対面授業からオンライン授業へ移行したのも大きな要因です。

2022年頃から一部対面授業「可」となりましたが、自宅から専門学校まで電車で2時間の距離ということを理由に頑なに登校を拒み、結局卒業する2023年までオンライン授業のみを受講し単位を得るという形になりました。
同じ家に住んでいるのに1日1回顔を合わすのも難しい状況となり、会話をしようと疑問形で言葉を投げかけたとしても「うん」と一言で終わってしまい会話が続かない・・
今思えば、親と顔を会わせないようワザと活動時間をずらして生活していたのでしょう。

卒業前の2022年6月頃からは就職活動が始まる時期でした。
しかし長男は変わらず自室にこもり外出している気配もなく、就職活動を行っている様子も見受けられなかったのです。

ある日、ボソッと「就職したくない。このままフリーになりたい」と話してきたのです。
専門学校へ入学➡そのまま就職する道を考えていた私たちには、長男からの言葉はまさに
青天の霹靂でした!

夫は猛反対で長男への叱咤・・私は夫を抑えることができず、ただその場に居合わすだけの存在になっていました。

その後ひっそりと長男の部屋へ行き、庇ってあげられず申し訳なかったと誤り、長男が落ち着き話せるようになるとゆっくり会話のやり取りをしました。

・本当はeスポーツの専門学校へ通いたかった
・お父さんから反対されて何も言い返せず、勧められた専門学校へ通った
けど本心は行きたくなかった。だから授業も面白いと思えたことがない
・両親を心配させたくなかったから「楽しい」と無理に言葉を伝えていた
・精神的に辛くて、何度か衝動的に包丁を首先へ突き付けたことがある

長男から「精神的に辛くて、何度か衝動的に包丁を首先へ突き付けたことがある」という
言葉を聞いてショックで何も考えられなくなりました・・
こんな状況まで追いつめてしまっていたこと、親として気付けてあげられなかったこと、
情けない気持ちでいっぱいになり、どんな言葉もその場を取り繕うものになる気がして
何も言葉を発することが出来ませんでした。

ただ「今まで何も気付いてあげられず本当にごめんね。そして生きてくれてありがとう」
この言葉を伝えるのが精一杯だったのです。

長男の成長:大きな一歩を踏み出すまで

その後は長男と何度か話し合いを重ね、卒業後1年間(2023年4月~2024年3月)は
何もせず家にいたいという長男の気持ちを尊重することにしました。

その間は趣味のYouTube ゲーム配信をしたりと、少しずつ心の調和が取れてきたのか
親子の会話も徐々に増えてきたように感じます。

家から出たくない、でも働かないわけにもいかない・・日々そんな葛藤を抱えつつ
卒業後の1年を終えようとする2024年3月、「一般企業への就職は精神的にキツイから
おじいちゃんの会社にバイトとして仕事を始めたい。」と長男から相談がありました。

私としては一般企業へ就職し、親元から自立(自分の力で人生を歩んでいく覚悟)をして
ほしいという思いもありましたが、正直なところ長男の精神状態を考えると難しいだろう
と感じています。

周りの方からすると、とても小さな一歩であり「親や祖父に甘えすぎだ!」と思われるかもしれません。

でもずっと家から出ることを拒んでいた長男が外で働くという選択に至るまでには、
想像もできないほどの葛藤があったと思います。
今は家族に甘えるという決断でもいい、長男が今までの自分から変わろうと悩みながらも
決意し、勇気ある一歩を踏み出そうとしている。
この成長がとても大事なことだと思うので親として応援しようと決めました。

そこから一つずつ自分が出来ることを積み重ねて自信をつけ
その先に、長男が目指したい路(みち)を見つけてほしいと願っています。

夫のモラハラ行動 ~ 我慢の限界、気持ちの糸が切れた瞬間 ~

そして最後に離婚の引き金となった数々の夫からのモラハラ行動。

・自分の意見が常に正しい
・真実であれば何を言っても正当であり、自分には非がない

そう思う人だからこそ、私に対し以下の行動を繰り返しました。

【不機嫌になったとき】
・話しかけても無視、LINEも既読無視
(だけど食事や身の回りの世話をするのは当たり前)
・携帯の着信履歴や、メール内容を強制的に確認する
・自分は常に正しい!と思っているので、問題があれば全て私の責任だと責める
・行動制限をかける。何をするにも夫から許可を得ないと行動できない

これらの行動は不満が溜まりつつも、まだ我慢のできる範囲でした。

しかし長男が病気を発病した時、また自室に引きこもり就職したくない
思いを伝えてきたときに投げつけられた言葉

・私の作った料理が原因で長男が病気になった!
・私の育て方が悪かったから長男があんな風に育った!

この言葉ばかりは許せませんでした。

人格否定もさることながら、それ以上に何もしてこなかった夫から「母親失格」と言われることへの怒りは、どう表現したら良いのか今でも分からないくらいです。

その瞬間「この人とこの先も人生を共にして、一生を終えるとき後悔しないのか?」
自問自答をし、そして悟ったのです。
「絶対に後悔する!いや後悔しかない!」と・・

その結論が自分の中で出たとき、私の心は波が引くように一瞬にして夫への気持ちが冷め
ていきました。
本当はずっと「離婚したい」と願っていました。ただ子供たちの事を想い、なんとか繋いで
おくことができた最後の糸がプツリ・・と切れた瞬間でした。

離婚を決意! ~ 未来への希望 ~

自分の気持ちに区切りをつけてからの行動は早かったです。

自分と同じ”両親の離婚”を子供たちに経験させることは心苦しくありましたが、自身が経験したことで我慢を敷く生活は幸せにならないとも学んでいたので離婚の意志を夫と子供に伝え、次男とともに家を出て今に至ります。

家族経営の仕事に就いているため、退職の意志を昨年から伝えていますが相手が身内という
こともあり、なかなか進展がありません・・なので先日「退職届」を提出しました。
まだまだ難ありですが諦めません!

そして退職日が確定したら、晴れて夫との関係も終わるので「離婚届」を提出するつもり
です。

新たな生活をスタートさせた次男や母と一緒に過ごせる時間も、限られてくるでしょう。
だからこそ、その限られた時間を大切に過ごしたい!との想いから在宅ワークという働き方を選択しようと思いました。

実は離婚を切り出した際、夫から

夫婦共有財産を折半するのは納得がいかない
・次男が専門学校へ通っており高額な教育費が掛かると理解しながら
「19歳は法的に成人だから、養育費は払わない」とドヤ顔で言われました

しかし、
💡夫婦が婚姻中に協力して築いた財産(共有財産)は原則として折半で分配されるもの
💡また、令和4年4月1日施行の改正民法により成人年齢が「20歳から18歳へ引き下げ」
になりましたが、子供が学生など親の扶養を必要とする場合には年齢が18歳以上の成人で
あっても養育費の請求が認められる可能性が高い。

以上のように、私が支払いの請求を行えば夫の言い分を退けることはできるでしょう。

でも夫のようなタイプの人間と関わり続けるのは、負の影響が大きくエネルギー消費が
半端ないのです。

だったら私が自分で稼げる力(スキル)を身に付けて、収入を上げていくことに注力した
方が「叶えたい理想の未来」により近づけるし、家族のために頑張れる!と思いました。

これが私が
「スキル0から、1年後にWebマーケティングで月50万円を稼ぐ!」
と決意した経緯となります。

最後になりましたが、義父についても少し触れておきたいと思います。

夫は男兄弟のため、娘が欲しかった義父は嫁いできた私を娘のように可愛がって
くれました。カフェで一緒にケーキを食べたり、買い物に行ったり・・

実父と親子という関係を築けなかった私には「父親ってこんな感じなんだ」と
結婚をし、義父と親子関係になって初めて”父親”という存在に触れられた気が
します。

時には私や母にもキツイ言葉を投げかけられ腹が立つことも結構ありましたが
ここまで耐えられたのは義父という存在が本当に大きかったからです。

家を出た今でも「最近どうや?」とランチに誘ってくれたり、先日は次男と3人で一緒に
食事に出かけたり・・夫には内緒の行動にはなりますが、気にかけてくれることが嬉しく
感謝しかありません。

最後に

ここに掲げた

「スキル0から、1年後にWebマーケティングで月50万円を稼ぐ!」

これは生活基盤を作るための大切な指針であり目標です。
その先には息子や母と一緒に叶えたい夢がたくさん待っています。
必死に頑張って歩んだ先に、胸を張って「私の選択は正しかった」と言える未来を
掴んでみせる✨

このブログでは
離婚をしたシングルマザーが、自身の力で月50万円を達成するまでのリアルな姿をお伝え
していきます。

そんな私のブログを励みに、悩みを抱えている方がおられたら一緒に前向きに進んでいた
だけたらと思います。

良ければ時々「どこまで成長したの?」と、ブログを覗きに来てもらえたら嬉しいです!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。